悩みの渦を断ち切り、未来に導く心理カウンセラー 森本 將之

・1978年 岡山県岡山市産まれ。現在45歳。

・幼少期に父からの虐待 ( 言葉の暴力 ) を受けて育つ。

・1991~1996年 中学生2年生の時、授業中に突然、強迫神経症が発症。その後、どんどん拡大して行きました。

・1996年 18歳の時、絶望感に襲われ、うつ病になり自殺未遂。

・同年 テレビ番組で偶然『 強迫神経症 』の特番を目にし、そこで初めて『 自分は心の病だった 』と言う事を知ると同時に、『 世の中の本当の大人の方々に一から育て直して貰う 』と決意。

・1999年 21歳の時に大学に進学。親元を離れた事により、父のモラハラの圧力から一時的に逃れる。

・2004年 相変わらず強迫神経症は治ってはいませんでしたが、26歳で社会人となり、過去の失われた時間を取り戻したく、全力で意識的に様々な職業を経験。周りの大人の方々に一から育て直して頂きました。その甲斐あって、33歳の時、独力で全てを克服。

・2010年 32歳 働きながら心理系の大学を卒業。

・2011年 33歳 更に実践を学ぶ為、カウンセラーの資格を取得。同時にキャリアコンサルタントの資格を取得。

・2012年 34歳 横浜でカウンセラー資格保有者に対するスキルアップの為の団体代表に就任。

・2018年 10月 ご縁があり、地元岡山県に戻り、倉敷でみつるぎ カウンセリングルームを開設。

 

こんにちは。心理カウンセラーの森本 將之 ( もりもと まさし ) です。

私自身、10年以上、心の病気と闘いながら、悩まされて来ました。

当初は、心理学の専門書を読み漁り、現在の自分の置かれた状況を1つ1つ把握。

その後、都心で働きながら、様々な方と接しつつ、安定した心理状態を身をもって習得して参りました。

また、同時に多様な心理療法の技法を習得し、心理学系の大学を卒業。カウンセラーの資格を取得致しております。

率直に申し上げますと、大変な遠回りを致しております。ただ、その分、学ぶ事も多かったのも事実です。

そのノウハウをみつるぎカウンセリングルームを通して、皆さまにご提供をさせて頂ければと考えております。

皆様は私と同じような遠回りをしたり、苦労をしなくても良いでのす。

もちろん、専門的な知識も知っておく必要もありません。

悩んでいらっしゃるご背景やご環境、想いなどは人それぞれですので、ゆっくりとお話しをお伺いさせて頂きながら、改善に向けて一歩一歩、一緒に歩ませて頂くのが、私の仕事となります。

私自身、幼少期は虐待を受けて育ちましたが、今では両親に感謝を致しております。 その時の辛い経験が無いと、深い部分での人の痛みや、1人で悩むその辛さや苦しさが分からなかったと思うからです。

また、この職業にも就いておりませんし、素晴らしい大人の方々にも出会う事がありませんでした。

私の仕事は病名を付けたり、薬を処方する事ではなく、目の前にいらっしゃる方の心の根底からのサポートです。

そして、カウンセリング期間中の一時的ではなく、みつるぎカウンセリングルームを通して、一生使える心の羅針盤を手にして頂ければ幸いです。

しっかりと、ご相談者様のお話しをお伺いさせて頂き、将来、ご自身の道を活き活きと歩いて行く事が出来ますよう、全力で導いて参ります。

 

心理カウンセリングを受けて悩みが解決の方向に向かうかどうかは、心理カウンセラーである私との相性と言うのも非常に重要なポイントになります。

ですので、ご興味がある方は下記の詳細プロフィールもご覧ください。

 


もなく、幸せだと思っていた幼少期。 】

私自身、幼少期には、全くストレスは抱えていませんでした。どちらかと言えば活発な方で、ワクワクしながら1人でバスに乗り、遠方の祖父母が居る所に、何のためらいも無く行く事も、しばしばしばありました。

友達も多く、この先、自身が心の病に陥って行く事などは知る由も無く、楽しい日々を送っていました。


獄のはじまり。良い子を演じ切るしかなかった学生時代。 】

歯車が狂い始めたのは、小学校の半ばくらいからでした。父からの理不尽な怒られ方が多くなって来たんです。

『 なんだ、親に向かってその態度は。 』

『 何だ、その口の利き方は。 』

『 反省しろ。 』

『 この家の中で一番偉いのは誰だと思ってるんだ、言ってみろ。 』

当然、活発だった私は委縮をして行きました。

当時の私は、『 ごめんなさい 』としか言えませんでした。

時には突然、父が変貌し、怒鳴られ、真っ暗闇の部屋に投おり込まれ、食事抜きで何時間も正座をさせられた事も何度もありました。

時には、突然、怒りながら、部屋の片付けが始まり、自分の意志とは関係なく、自分の大切な物がどんどん捨てられて行きました。

その後、泣きじゃくる私を前に、父は満足な顔をして、自分の気持ちだけを一方的に喋り、部屋を出て行く事も数えきれない位ありました。

母親は、その状況下で私に『 ごめん。我慢して。 』としか言ってくれませんでした。

何で、自分ばっかり。。。でも、両親の事は大好きだったんです。

『 自分さえ、我慢をしておけば。 』

幼いながら、そのように思っていた事をよく覚えています。

そのような事を繰り返していると、当然、『 怒られないようにするには、どうすれば良いのか 』と言う事を考え出します。

常に親の顔色を伺い、足音に敏感になり、機嫌を取り、不平不満や自己主張は一切せず、文字通り、親にとっての『 良い子 』を演じ切る事しか出来なくなりました。

但し、それで父の言葉の暴力や、行動の暴力は収まる事は無かったのです。


いに、限界。強迫神経症の発症~うつ病、自殺未遂。 】

強迫神経症が発症したのは、中学2年生の頃だったと思います。突然、授業中に消しゴムが握れなくなりました。

握っても、手離す事が出来ないんです。

『 自分のタイミングで手離す事が出来なければ、何か悪い事が起こる。』そんな底知れない恐怖が突然、私に襲いかかって来ました。

その恐怖から逃れたい為、握っては手放す、握っては手放す。その繰り返しです。

そうしているうちに、消しゴムは使えなくなり、当然、鉛筆も使えなくなりました。

その次に、テレビのリモコンを持つ時、靴を履く時、玄関から出る時、ドアノブを触る時、部屋に出入りする時などに、その得体の知れない症状は、止めたいと思えば、思うほど、どんどんエスカレートをして行きました。

何故か何でも特定の回数、同じ行動を行わないと気が済まないんです。それも自分のタイミングが合わなければ、最初からやり直し。

本当は、部屋の中の荷物を取りに行きたいだけなのに、部屋に入るだけで30分以上かかり、出るのに30分以上かかった事もあります。

本来であれば、10秒もかからない所を、1時間位、同じ行動を繰り返しながら、葛藤しながらやっていました。

心の中では、『 バカな事を 』と思ってはいるのですが、止めると恐怖が襲いかかって来るので、止める事が出来ず、当然、相当なストレスが掛かります。また、家族の前では平然を装いながら、父からの理不尽な怒られ方は続けられたままです。

最終的には、自分の息をする回数にも、自身で制限を掛け出し、目が覚めている全ての時間が、絶望的となりました。

『 もう、死のう 』

そう心から思ったのが、その症状が出だした6年後。18歳の時でした。

そして自殺未遂をしました。


レビ番組で突然、自身の症状が判明。 】

自殺未遂をして、目が覚めたのは、12時間後でした。

『 何で、目が覚めてしまったんだ。。。 』

それから、数日間、生きているのか、死んでいるのか分からない状況の中、もうろうとした意識の中で、突然、ある情報番組が私の目の中に飛び込んできました。

自殺未遂をして1週間後位の事です。

『 強迫神経障害 』

時間にして約5分、たまたまTVの情報番組でその特集が流れているのを、偶然、見掛けたんです。

自分の症状、そのままでした。

『 自分だけじゃ無かったんだ。。。。。 』

そこで初めて、

『 自分は、心の病だったんだ。 』

と、気が付く事が出来ました。


かし通院出来ず。 】

ただ、それですぐに、病院に行く事が出来るかと言えば、現実的には、そうは行きませんでした。

当時は今みたいに心療内科もあまり無く、世の中に浸透する前。精神科が主流の時代です。

世の中の偏見も今以上に数多くあり、当時、子供の私にはハードルが高すぎたんです。

また、そのような『 自分にとっては大きな悩み 』を誰にも打ち明けた事がありませんでした。

『 通院履歴が残る 』、『 恥ずかしい 』と言う複雑な思いもありました。

そこで、私はわらにもすがる思いで、すぐに街の1番大きな書店に駆け込みました。


獄から一転、希望の光が。 】

人生で初めて、心理学コーナーの書籍の前に立ったんです。

ここでも、偶然が起こりました。

全く分からない中、一番最初に手に取った本が、心理学系の書籍を多数出版していらっしゃる、加藤諦三さんの書籍でした。

加藤さんが過去にご両親から受けた事と、私が両親から受けた事がほぼ同じだったんです。

私は本を持ったまま、その場で泣き崩れました。

『 自分の家庭は、異常だったんだ。 』

その時、悔しさと同時に、全く将来の事が見えなかった私の人生に、一筋の希望の光が見えたように思いました。


いたままイチかバチかの決意。 】

書店コーナーの一角で、1人泣き崩れながらとっさに私は、こう思ったんです。

『 今、病院には行く事は出来ないけど、世の中には、もしかしたら、本当の意味で心が豊かな大人の方が一杯居るのかも知れない。 』

『 もしそうなら、両親ではなく、その大人の方々に、ゼロから育て直して貰う。 』

他に私には選択肢が残されていません。そう決意するしかありませんでした。

と、同時に、浪人はしたものの、私の場合、運よく大学進学と言う事で親元を離れる事が出来ました。

その希望を胸に、狙って、県外の大学に出たんです。

安全だと思っていた、家庭と言う危険地帯を避け、そこから、自分が育った家庭環境や、症状、その他全般の事を心理学の専門書を片手に冷静に、そして客観的に1つ1つゆっくりと把握をして行きました。

今から思えば、長い間、ストレス源となっていた父親の元を離れる事によって、随分と精神的に救われたように思います。

また、友達にも恵まれ、色々な意見交換をしながら、徐々に精神的にも自分で意識をしながら成長をさせて行きました。


発逆転。強迫神経症を克服するまで。 】

大学生活中は強迫神経症は完全に治ってはいなかったものの、うつ状態になる事も、自殺願望が芽生える事もありませんでした。

理由としては、まずは、強制的にストレス源から離れられた事と、周りの環境を変える事が出来た為だと思っています。

また、様々な正常な家庭環境で育った友達と話しをする中で、冷静に自分自身と向き合える事が出来るようになった事も、1つの要因になったのではないかと考えています。

ただ、やはり強迫神経症だけは完全には治りません。結構、しぶといんです。

大学を卒業し、就職する頃には、精神的に少し余裕は出て来てはいたのですが、社会に出る時、私は4つの目標を定めました。

(1) 強迫神経症を克服する。
(2) 本当の大人の方々に一から育て直して貰う。
(3) 働きながら心理学系の大学をもう一度、出直す。
(4) 人とは遅れている為、全力でビジネススキルを出来る限り蓄える。

1個1個を個別にやって行くのではなく、同時進行で、それこそ無我夢中で8年間走り抜きました。

強迫神経症は、まず症状が出た瞬間、『 自分は異常なんだ。 』と心の中で呟くようにしました。そして、もし自分に負けて恐怖からの回避行動を取ったとしても、『 まぁ、仕方が無い。 』となるべく自分を責める事がないよう、心構えました。

そして、これが一番良かったと思っているのですが、なるべく 『 強迫神経症では無かった時の自分をイメージ 』するようにしました。

具体的には、幼少期の頃です。何も症状が無く、楽しかった頃のイメージです。

それを繰り返している内に、徐々に回数が減って行き、1年半~2年位で症状が無くなって、軽くなって行きました。

また、上司や同僚、周りの方々、友達の中で、『 この人は本当の意味で大人の方かも知れない。 』と思った人の良い部分( 行動や考え方など )を徹底的に模写し、真似をして行きました。

考え方はもちろんの事、生い立ちの話、喋り方、立ち振る舞い、仕事の進め方、プライベートでの行動、ご家族との会話の内容、条件判断。私にとっては1つ1つが生きた勉強でした。

そして、帰り道には必ず『 今日一日で自分自身が得た事は何だったのか、そして、それを明日の自分に、どのように繋げて行く事が出来るのか。 』

そのように考えながら、毎日365日、1日も欠かす事無く約5年間続けました。

大学は仕事をしながらですので、毎日、朝2時半くらいに起きて、6時に家を出るまで教科書や心理学のテキストで勉強。会社に7時に着いて、就業時間の9時までの間に休憩室で復習。

また、最短となる2年で卒業後、そのままカウンセラーの養成校に入学。2011年にカウンセラーの免許を取得。

当時は働きながらでしたので、まずは周りの方々や、会社の方、友達などを対象にどんどんカウンセリングをして経験を積んでいきました。

それだけではなく、ジャンルを問わず、様々な心理療法のセミナー等にも積極的に参加をし、徹底的に技術を向上させて行きました。

この時に学んだ事や、技術として取得した心理療法等が、今のカウンセラーとしての、確固たる基盤となっています。

また当時、大変素晴らしいカウンセラー仲間や、先生方とも出逢う事が出来、今でも交流が続いています。

ビジネススキルに関しましては、事務的な資料作成からはじまり、営業、データ分析、マーケティング、プレゼンなどなど、仕事上で得られる知識や経験は1つも余す事無く、吸収をさせて行きました。

結果、33歳で、仕事上トップの実績を残す事が出来た時、家で、『 こんな自分でも、コツコツとやれば出来るんだ! 』と1人で大喜びをしました。

また、同時期に、カウンセラー有資格者の団体代表にも就任。

カウンセラーとしても『 森本さんのおかげで、本当に助かりました。 』とおっしゃって頂ける事も多くなって来ました。

そして、少し時間が出来た時、ふと、後ろを、振り返ってみたんです。

『 十分やり切った。 』

自然にそう思いました。

現実的に私を育てて下さった、本当に数多くの大人の方々との出逢いもあり、その経験は誰にも真似できない私の宝物となっていました。

そして、この時、産まれて初めて両親に感謝出来たんです。

『 これでやっと、20歳になれた。 』

そう強く思ったのを今でも良く覚えています。

と、同時に、もう強迫神経症の症状も無く、うつも無く、自殺願望も一切、残っていませんでした。

当時、真っ暗闇の中で、イチかバチかで決めた事。

『 両親ではなく、世の中の本当の大人の方々に一から育て直してもらう。 』

この考え方が、間違っていなかった事を、15年後に自分の力で証明出来た瞬間でした。

そして離職をし、完全に対人援助の道に入る事を決意致しました。

2012年、9月の事です。


っと早くカウンセラーと出逢っていたら。】

今、自分の人生を振り返ってみると、症状が悪化する前にもっと早くにカウンセラーに出逢っておけば良かったと思います。

当時、私は通院する事が出来ず、大変長い時間を掛けて、独力で回復をさせて行きました。ただし、それは大変な遠回りでした。

確かに脇道に逸れたお陰で、強迫神経症やうつだけに留まらず、対人関係や仕事上の悩み、その他、様々な症状や悩みなどにも一カウンセラーとして対応する事が出来るようにはなりました。

しかし、今、これをお読み頂いているご相談者の皆様が、私と同じ苦労をしなくても良いのです。

カウンセラーは諸外国と比べ、まだまだ日本では、定着を致しておりません。

『 良くなりたい。楽になりたい。』『 でも、本当に良くなるのだろうか。。。。』

このようなご葛藤があろうかと存じます。

でも、ほんの少しの勇気があなたの未来を素晴らしいものにして行くのです。

また『 世の中に誰か1人でも味方が居る 』それだけでも、随分と救われて行きます。

最近、新規のお客様で、大きな悩みを抱えていらっしゃる方がいらっしゃいました。カウンセリングも初めてで、最初は勇気が要ったと思います。

ただ、カウンセリングを受ける中で、悩みが少しづつ解消をして行き、今では当初、ご自身では全く考えもしなかった幸せな生活を送っていらっしゃいます。

どうぞ、安心して何でもお話しください。
心を癒すプロが、貴方を全力でサポートさせて頂きます。